うたかた


死にたがりの君と生きたがる僕。4


それは突然の朗報だった。


そろそろレンが起きてくる頃だろうかとカレンダーを見上げていたら、主治医がいつも通りの長い藤色の髪を一つに束ね、白衣を身に纏った姿で部屋に入ってきた。
縁なしの眼鏡をかけた顔は端正に整い、薄い唇から発せられる低い声には看護師患者問わず感嘆の息を漏らす―――らしい。リンにとって彼は主治医以外の何者でもなく、確かに容姿淡麗であるとは思うがそれだけだ。
その彼がベッドの傍らに立ち、微笑みながらドナーが見つかったと告げた時はあまりに現実感がなくて思わず、

「………え?」

聞き返してしまった。
無理もないだろう。諦めていた命だったのだ。未来を夢見ることすら虚しさを感じ、それさえ拒んできた。死を待つことに慣れてきて、病いと闘うことすらもう出来ないと思っていたのに。
必要な説明を受けた後、急になってしまうけれど、と提案された数日後の手術日に決定した。
体力を考えると、出来るだけ早いほうが成功率が高いらしい。
彼が部屋を出て行くのを実感が湧かない頭で見送っていると、入れ違いにレンが来た。

「…レン」
「ん?」
「私、治るかもしれないって。ドナー、見つかったって」
「ホントか!?」

レンが嬉しそうに折り畳み式の椅子に座り乗り出すようにベッドに肘をつくが、未だ茫然としている顔を覗き込んできて首を傾げた。

「嬉しく、ないのか?」
「そんなこと、ない。まだ、実感がなくて」

口に出していくうちにじわり、じわりと現実が身体に、脳に染み入り、生きていられるかもしれないという喜びが湧き上がって、手元にあった白い掛け布団を握り締めた。
真っ白で何もないはずの部屋にいくつも置かれている“色”を見付けて、“色”を閉ざしてしまっていたのは病院でも病室でもないことに気付いた。
たとえ病院は白くてもリンの髪もレンの髪も橙の混じった金髪のような色をしていて、神威先生の髪の色は藤色で、サイドテーブルに置いてあるカップも、窓から見える景色も、ぜんぶ全部、色付いている。
色を閉ざしてしまっていたのは、自分自身だった。
そう理解して、納得してしまってからはこの色とりどりの世界でまだ生きていける可能性があるのだとわかって、ただ嬉しくて、表現方法がわからなかったけれどどうにか言葉にしようとしたら途切れ途切れで的を射なくなってしまった。

「ねぇ、どうしよう。夢じゃ、ない? 嬉しくて、夢みたいで…」
「夢じゃないよ、リン。良かったな」
「成功率も半分しかないし、拒否反応出るかもしれないけど」

体が持たない可能性が高いと主治医にも言われた。拒否反応だって、他人の臓器を移植するのだから出ても可笑しくないとも。
それでも決めたのだ。
医療費を出してくれている母に聞かなければと云おうとしたら、母からはあらかじめ、医療費に関係なく出来る限りのことをしてくださいと伝えられていると教えられた。
だから、今後のことは全て自分の意志だ。道は幾つも用意されていた。
手術をせずに今まで通り平穏に残りの時間を過ごすのもひとつの未来で、この手術の間に体力が尽きてしまうかもしれなくて、無事に済んでも拒否反応があるかもしれない。
それでも、全ては自分が選んだことだから。
不意にレンが温かい手でリンの手を握って、じっと視線を合わせてきた。

「大丈夫だよ。拒否反応なんて、出ない」

勇気付けてくれているのだろう。未来は誰にもわからないけれど、今はその心だけで十分に嬉しい。

「出なければいいな。ねぇ、退院出来たら、一緒に出掛けない?」
「え?」
「レンが好きな店とか、遊ぶ場所とか教えてほしいな。もうずっと外で遊んだことなんてないから」

レンは目を丸くするが、その後とても優しく笑って私の髪を梳くように撫でた。

「ああ、一緒に行こう。だからリン、頑張れよ」
「うんっ」










手術日。

ベッドに横たわったまま点滴と共に手術室へと運ばれる。
音を立てて閉められたドアを、再び生きて開けられるかはわからない。
目を閉じて深呼吸をし、全ては自分次第だと自身に言い聞かせる。
たとえ成功率が低くても、まだそれだけ生きていられる可能性があるのだと前向きに捉えて、決して絶望しない。
それに、レンとの約束があるから、私はまた目覚めなければならない。
レンとの約束を守るため。
レンとの約束を果たすために。
それがひとつの、生きる目的だから。


深い眠りに就く前に耳元で聴こえたレンの声が酷く優しく心地良くて、もっと聞きたかったけれど、大きな微睡みにはあらがえずに、未来を変えるために、意識を微睡みへと沈ませた。









「生きて、リン」


約束を交わして。