うたかた


君のこえ 3


二週間、メールの返事がこない。
今までなら、時間が経っても必ず返信はきた。

《今日来るか?》

また、一通。
見ていないのかもしれない。
気付いていないだけかもしれない。
そう考えても、最後に会った日の彼女の肌の白さと儚さが、目に焼き付き離れない。
不安が募る。

返事をくれ。
早く、早く。

そんな時、メールの着信音が鳴った。
真央だ。
真央からのメールの着信音。
良かった、不安などいらなかったのだ。
メールを開くと、一行だけ。

《いまからあえますか》

その文面に違和感を覚えながらも返信する。

《会える。喫茶店でいいか?》
《どこのですか》
《いつもの、図書館の近くの喫茶店》
《いりぐちでまっています》

メールを終えると早速用意をする。
待っていたメールも来て、やりとりもした。
不安になる要素はない。
だが、心に掛かった靄は未だ晴れないまま。

手早く準備を済ませると、玄関を出て自転車に跨がる。
この靄を無くすために、違和感を消すために、無意識にも自転車を漕ぐ足は速まった。

流れる景色を無視して、喫茶店へと向かう。早く会って、早くこの不安を消してしまいたい。

早く。

家から五分で着くはずの喫茶店は遠く、どれだけペダルを踏んでも着かないようにさえ思えた。
早くついて欲しい。
だけど、この不安が確信に変わらないで欲しい。
そんな想いが自転車に伝わっているかのように。


―――キィッ


着いてしまった。
漸く着いて不安を拭い去れるというのに、不安の色はますます強まった。

入口付近にいるのは老夫婦のみ。真央じゃない。
待ちきれなくなって、メールを送った。

《着いたから、中で待ってる》

同時に老夫婦の方から携帯電話が鳴った。
偶然だ。きっと。
老夫婦の男の方と目があう。
軽い会釈の後、近付いてくる。
目の前で立ち止まり、ぴんと背筋をのばした。

「三沢さんですか?」
「はい」

ほとんど反射的に返事をして、混乱した。



知り合いなんかではないのに、何故声をかけられたのだろう。

「あの…」
「如月真央の祖父です」

隣にいる女性が会釈をした。
おそらく彼女は祖母といったところだろう。


言わなければ、この人に。


二人の思考は同一で、何かを自分に伝えようとしていた。

自分にとって、知りたくないことを。


真央の死を、伝えなくては。




逃げ場は既になくなった。
足許が崩れていく感覚を覚える。




死んだ。
彼女が。どうして。なんで。

「どうして」
「……はい?」

伝えるべき事柄を伝えようと彼が口を開こうとした時、絶え切れず言った。
不振に思うかもしれなくても、どうでも良かった。

「どうして真央は死んだんですか」

何故それを知っているのか、とでも言いたげな表情の二人に、もう一度繰り返す。

「真央はどうして死んだんですか」

ただ、それだけが知りたくて。
例え彼等が隠したとしても、自分にはわかるから。

「病気でした」

予想していなかった答えだった。
死んでしまう程重い病気ならば、自分と会うことだって出来なかったはずだ。
それなのに。

病気なのに、彼女は自分と会っていたということか?何故。

「詳しい事は中で話します」
「………」

何も言えず、促されるままに店内へと足を進める。
窓際の一番端の席に決め、正面に真央の祖父母が座った。

「遅れましたが、あの子の携帯電話で貴方にメールをしてしまい、申し訳ありません」
「……いえ、でもどうして俺に?」
「病院や自宅の連絡用以外で貴方のものしかなかったんです」

彼女くらいの年齢なら、友達のメールアドレスでいっぱいな方が不思議じゃない。
それなのに、何故俺だけ?

「…あの子は小さな頃から病弱でした」

昔話をするように、老父は話を始めた。





小さな頃から病気がちだった彼女は入院生活が長く、入院をしていない間も外に出ることを許されなかった。
ずっと、自由を知らずに彼女は生きてきた。
普通なら大人になるにつれて丈夫になっていく身体も、彼女は悪くなっていった。
大学の試験を受けて合格したというのに、結局一日も出席出来なかったため単位が取れず辞めたらしい。


そして四か月前、医師から告げられた言葉は、たった四か月の余命だった。

「四か月?」

「最初の二か月は精一杯尽くしたんです。少しでも永くいられるよう」

彼が話す隣では老婆が白いハンカチで目頭を押さえながら、漸く口を開いた。

「両親を早くに亡くした真央に、本当の幸せを知ってほしくて」
「ずっと、あの子が健康体になるようにと外に出さなかったんです。風邪でもひいたらと」
「変わりに私が毎日図書館に来るあなたの事を話していました。そうするうち、あの子は外に出たいと言い出しました。最初は反対しましたが、いつも自分の意見を言わなかったあの子の、初めての気持ちだったので叶えようと思ったんです」

きっと、意見がなかったわけではないのだろう。ずっと感情を押し殺していたのかもしれない。祖父母に迷惑をかけないよう。

「あの子は、貴方にも敬語でしたか?」
「え、あ、はい」

もう当然の事のように受け止めていたから気にしていなかったが、“貴方にも”という事は。「他人と距離を置く子でした」

涙す彼等の言葉で、気付いてしまった。
自分は他人と関わらない事で距離を置いたが、それが出来ない彼女は言葉で距離を置いた。

彼女は他人と距離を置き、感情を押し殺していたから聞こえなかったのかもしれない。


だから、特別強い感情でなければ聞こえなかったのだろうか。
唐突に気付いた、彼女の奇妙な発言の意味。
風船は自分に見立て、人の行く末は自分の行く末、天国の有無は死後の自分の行く場所。
入院生活が長かった彼女はずっと自由を望んでいたのかもしれない。

「…どうして」
「はい?」

唇から漏れた言葉に二人が顔を上げた。
それには気にせず窓の外の空を見上げる。


知っていれば何か出来たかもしれないなど、そんな事は思わないけれど。

もっともっと、会ってきた日々を刻み込んでいたのに。
でも、のこされた自分に出来る事はまだあるから。



出来るなら、そんな君を誰かに知って欲しいから。




一冊の本を書いた。





【君のこえ】


















-end-

みっつめ。